露出度の高い衣装を着るコンパニオンさんやコスプレイヤーの皆さまのおかげで今年も盛況だったらしいTGS(東京ゲームショウ)。ぼくは行っていないのだけど、二次元に熱狂する人たちが集まるのかと思いきや案外そういうわけでもなく、結局のところ、みんな三次元の女性に執着しているのだろうか。内巻すばる君を見習ってほしい。ぼくも彼のように突っ走っていけたらいいと思う。ぼくが二次元の女の子に熱を出すのは”練習じゃできないことは本番でもできない”を教訓にしているからである。夜な夜な同人誌を読み漁るのも恋愛アニメできゅんきゅんしたり青春アニメで涙を流すのも。時々練習と本番をはき違えてることもあるけれど。そしてそういうシーンがリライフしない限りはもう訪れないことに辛くなることもある。『人間のしわざ』を読んだときにぼくもいつか大人の情事を重ねる日が来るのかと思うと未来は暗い。ぼくは若くて可愛い子が好きだから……。話が逸れた。それにアラサーにもなると自分に優しくしてくれるのは自分くらいしかいないのであって、そういう意味で、二次元は裏切らないから最高だ。わーい。とは言え、露出度の高いコンパニオンさんやコスプレイヤーの皆さまに興味がないわけではない。むしろある。俄然ある。二次元好き=描かれたキャラ萌えではないのだ。練習のし過ぎで窃視症を患ってしまったので(事件性を自主的に避けるぼくという紳士性も書き添えておく)、三次元の女性とまともにコミュニケーションを取れそうにないのもあるが(それでもボクはやってない、なんて洒落にならない)、ぼくくらいになると、いちど二次元に還元された状態、「TGS各メーカー美女写真まとめ」で画像を舐めるようにして見るのである。ぼくは女性が好きだ。立体的に動き、能動的に話す女性が苦手なだけなのである。


 
 ゲームの話をしようと思ったのである。ぼくはいま『テイルズオブベルセリア』をプレイ中だ。ジャンルは”君が君らしく生きるRPG”。ゲームで人生のなんたるかを学ぶぼくを気味悪がる人もいるのだけれど、そういう人は本も読まないしアニメも見ないから人生を想像できないのだろう。かわいそうだ。ぼくは彼らに哀れみの視線を送る程度には情緒を養っているのである。


 『テイルズオブベルセリア』はシリーズ最新作。Amazonのレビューは概ね良好で、ファンとしてはちょっと胸を撫で下ろす次第である。 個人的にも今作は良作の部類に入ると思う。シリーズ初の女性主人公で、男女雇用機会均等法施行から30年、いよいよ女性が男性を蹂躙する時代に突入しているのだ。都知事も女性だし。そういえばどこかの党も女性が代表になっていた。 男は黙って写真を撮っておけばいいだけなのかもしれない。

 
 パーティーの雰囲気が良くも悪くも殺伐としているところが良い。そこに今作のヒロインであるライフィセット君(10歳)が良い感じに中和してくれる。彼の成長譚でもあり、汚れちまった悲しみを抱く大人は時に成長する彼の姿に胸を打たれる場面も……。君が君であるために勝ち続けなきゃならない。正しいものは何なのか。それがこの胸に解るまで。大人は明日さえ教えてやれないのである。余裕を失い、迷走し始める大人を導いてくれるのはいつだって子どもという存在なのだ。


 ライフィセット君は生まれて以来、名前も与えられないまま術を使用する道具として使われてきたため、命令を聞く以外の生き方を知らないのであるが、冒険しながら徐々に感情を形成していく。ぼくは思わず小さな声をあげてしまう。ライフィセット君の成長はそのままぼくたちの生きた証のようだからだ。大げさに書いたかもしれない。大げさだろう。しかし、ぼくたちにも子ども時代はあったわけで、ライフィセット君同様、いろんなことに興味があり、好奇心があり、なによりも楽しんでいたのである。楽しまなくちゃ、と自己啓発したそれではない。純度100%、まじりっけなしで楽しんでいるのである。人生を。そこに達観したような振る舞いで飄々としているマギルゥ姉さんとライフィセット君のやり取りがすごくおもしろいのである。おかげでぼくは30歳を前にして新しい扉を開きかけている。「少年って、いいな……」それでもぼくはやっていないが。


 何も書かれていない真っ白な自分というキャンバスに一つひとつ経験や知識や思い出といった彩りを描き込んでいき自分を創っていく。ぼくは途中からグレー一色になってしまったが、だからこそ、ライフィセット君のように素敵な輝きを放つ子は眩し過ぎて辛いこともあるのだけど。 


――「だって、一人で苦しむのは辛いでしょ?」 


 子どもは大人が思っている以上に大人なのだ。それはこのセリフを書いたのが大人だからなんて野暮なことは言ってはいけない。物語の言葉は、いつか、ぼくたちが誰かに言って欲しい言葉なのかもしれず、あの日、ぼくたちが誰かに言うべき言葉なのかもしれないからだ。